介護支援専門員のコラム
『ちょっと素敵な出会い』
2020.2
過日、樹木希林展へ出かけました。演技に対する樹木さんなりの解釈や感性、人としての独自の生き方に見習うものが多々あると以前より注目しておりました。
会場で、受賞記念のトロフィーをランプにリメイクして玄関に置くなど、豊かな発想で実用的な暮らしを垣間見ることができました。
介護福祉士を目指す若者へ、『不自由になった分だけ文句がでるの。自分もなるであろう老人を学ぶにはもってこいの仕事ね。してあげるんじゃなく自分でやれるようにしむける。待つ時間が足りないか・・・。明治天皇の歌「器には従いながら いわがねも 通すは水の 力なりけり」。水はどんな器にも添うのに、雨だれのポツンポツンで岩や鉄にも穴をあける、この柔らかさがあれば』と、美文字で書かれた手紙も拝見しました。
『今の私があるのは妻のおかげ。好き勝手放題やってきた私に、将来を見据えて厳しくも数々のアドバイスをくれた』と、語って下さったのは先月お亡くなりになったせりかわ内科クリニックの芹川直行院長先生です。
院長のご生前にあるご家族から、『たくさんの患者がいるのに私の愚痴話を嫌な顔一つせずずっと聞いてくれた。母が歩けなくなったら往診するよ、と言ってくれて安心した。』と伺ったことがあります。医療サービスに対して常に真摯であり続けた証がこの一言に尽きると思います。院長先生はこのように地域で暮らす患者様お一人お一人に丁寧に寄り添って医療サービス・介護保険サービスの同時利用へ導いて下さいました。小さな町の偉大な英雄・芹川院長に感謝を捧げます。
人は変えようとすれば変わるもの・・・。樹木さんと院長先生お二人からのメッセージは素敵な出会いになりました。
2019.8
パーキンソン病と特定診断されるまで長い時間を要しました。
当時60歳の君江さんは単身で就労しながら母親の介護をしていました。代々継承してきたみかん山や広い敷地内に建つ旧家の佇まいを残す自宅で押し寄せる体調不安、解決の芽が見えない介護に対し、医療施設への入院を選択し、就労と自分の体調管理に生活を集約したのは平成16年でした。
平成29年暮れ、私との再会は13年ぶりです。全身の不随意運動が激しく、歩くことも食べることもままならない様子です。
神経内科の医師による病状管理を中心に乗降サービス・訪問介護・福祉用具・訪問入浴などの介護保険サービスと医療保険での在宅診療(内科・歯科)・訪問マッサージ・訪問看護・訪問リハビリ等各専門職の援助をいただき、暮らしにくさに寄り添うケアプランを作成しました。
今年5月に自宅内で転倒し、あまりの痛さと家族の疲労が見え始め、君江さんへ入院の提案をしました。「海の見える所なら」と了解を得てご入院が決まった5月末でした。
精密検査では腰椎・胸骨などが骨折しており、パーキンソン病の進行や発熱・食欲低下等により、リハビリが進みません。
退院…、様々な予測に対する対処法の確認を済ませ、本人の希望を共有しあって自宅から僅か10分足らずにある住宅型有料老人ホームへ入居したのは7月末日です。
更に飲食が進まず、体力も限界になりつつある8月7日我が家にいる愛犬ハヤトに会いに行くこととしました。家族、8年間看護を続けた訪問看護師総出でその様子を見守りました。固縮していつも痛がる右上肢を精一杯伸ばしてハヤトの毛並みを揃えるように頭を撫でます。母屋に入り、好物のスイカの生絞りをゴクンゴクン。
希望であった愛犬ハヤトとの再会を果たした5日後の8月12日、君江さんはお旅立ちになりました。できないと決めつけられてしまいそうな、小さくて消えてしまいそうな希望。既に自己決定できなくなった時、私達がその希望を引き受けなければとご教示いただいた素敵な出会いになりました。